亡き父が育てていた茶碗蓮が、まだつぼみを上げている。
本来は冬場に株分けをしないといけないのだが、つい放置していて年々元気がなくなってきている。
それでもけなげに花を咲かせてくれている。
今度こそは株分けと植え替えをしてあげないと・・・。
蓮はいつ見ても美しいなあ。心が洗われるようだ。
父のお墓の掃除に行ってきた。
昨日の台風の風雨で墓石はわりとピカピカしていたけれど、よく見るとクモの巣がかなりかかっている。
霊園が緑豊かな小高い丘の上なので、すさまじいほどの蝉の声がし、たくさんのカラスと虫がいるのだ。
すぐ隣にはいとこのお墓が新しく建立されていた。
享年五十歳。わたしといくつも変わらないのに、この春、ガンで逝ってしまった。
みんないつかは逝くとわかっているのだけど、早すぎる。
人生はいつ終りが来るかわからない。
だからできるだけ毎日を楽しく生きたい。
でも、自分は楽しんでいるのか? たぶん・・・楽しんでる。
今までの人生は人並みに山あり谷ありだったが、今は大好きな鳥たちに囲まれている。
ぶっちゃけ、マジで!!! お金がない人生ではあるが^^;
何を言っても 何をやっても、それを真っ向から否定しない旦那は心が広いと感謝している。
人生が楽しいかどうかは、自分で自分のご機嫌をいかに取れているかにかかっているのではないかな。
常に自分で自分に「楽しんでるか~い?」と尋ねてみることも大事だと思う。
鳥たちにも「楽しんでるか~い?」とよく聞いてみるのだけど、
何にもない時期は「別にぃ~」と言ってるような気がする^^;
巣引きをしている時の鳥たちは「楽しんでるよ~♫」と喜々として応えているような気がする。
鳥の種の保存欲求というのは、人が考えている以上にすごいと思う。
とにかく自分の子孫を残したい。
どんどん残しておきたい。
自分の命と引き換えでもいいから残したい!・・・と本気で思っている。
だから繁殖条件に合致すれば、どんどん卵を産んでしまう。
なんとか卵を温めて、ヒナを孵したいと必死になる。
オスでも、自分が「巣」と決めた縄張りを本気で守ろうとする。たとえ飼い主を傷つけても。
自分の命に代えてでも子孫を残したい欲求があるのだから、手におえない。
言い方が悪いが、始末が悪い。
何とかならないのかと思うことが わたしにも年に数回ある。
一度その欲求に火がついてしまったら、ちょっとやそっとでは鎮火できない。
過発情に悩む飼い主さんが多いのもうなずける。
それを人為的に抑え込もうと思ったら、相当の忍耐と努力と持続を強いられる。
わたしもその点にはとても苦労している。
つがいでも年に3回以上の巣引きをさせたくはないと思っているのだが
種の保存欲求が作動してしまうと バースコントロールが非常にむずかしい。
本能が暴走してしまうと、巣箱を外して巣を撤去しても 産卵が止まらないことが多いのだ。
オカメの巣引きは、産卵するお母さんの体のことをいちばん気にすることが多いようだが、
わたしはお父さんオカメの方が疲れ切っていると思っている。
お父さんも抱卵を半分担うが、巣箱から離れても奥さんと卵を守る警備に心を砕いていて
ほんとに24時間戦っているように見える。
だからヒナが巣立った後のお父さんの疲労感が、手を取るようにわかるし、目で見てわかる。
ここまでのイクメンは、人間で探しても、そうおいそれと見つからないレベルだと思っている。
そんなに疲れていても、種の保存欲求を満たせたことで、
オカメたちの脳内は 満足感と達成感と幸福感で満たされているのだと思う。
脳内麻薬が分泌されているような、そんなイメージがある・・・。
だから育雛が一段落すると立て続けに、さあ!次もがんばるぞ~!─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
・・・となるのではないかな。
何はともあれ、本能の暴走を止めるのは難しい。
いつも一生懸命で、命を投げ出すことさえいとわず、それを「生きがい」と感じている鳥を「困った」と思う自分がいる。
それとは逆に、若干の矛盾を感じつつも、今を精いっぱい生き抜こうとする鳥たちの姿は美しいと思わずにはいられない自分がいるのも事実である。
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本能の暴走と脳内麻薬
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